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理事長あいさつ

Dreams come true  70周年に寄せて

社会医療法人ましき会 理事長
犬飼 邦明

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益城町に先代の犬飼勝通が開業。
1950(昭和25)年に先代犬飼勝通がこの地に診療所を開業し、今年で70年になりました。
旧制熊本医科大(現・熊本大学医学部)を昭和21年に卒業して外科に入局し、わずか5年で開業ですから驚きます。愛知県出身の先代がなぜ益城町に来たのか、今となっては誰も分かりません。進学にあたり食べ物に困らない九州を選んだという話を聞いた覚えがあります。精神科に転身し、益城病院を設立したのは1962(昭和37)年のことでした。医療法人化も当時としては早かったようです。時代の波に乗って、昭和の終わり頃には現在の210床規模になっていました。
先代から引き継いだ昭和時代。
1991(平成3)年に私が後を継いだ時の様相は、昭和の精神科病院そのものでした。鉄格子、保護室、畳敷きの大部屋、運動場、畑作業…。それまで経験してきた国立や県立の精神科とは、すでにかなりの差がついていました。いきなり突きつけられた課題を前に、当時40歳になったばかりの私は途方に暮れていました。常勤医は赤松副院長と2人でしたので、100名以上の入院患者を受け持っていたことになります。当時はカルテと言っても体温表と一体になった一覧表みたいなもので、まずはカルテの書式変更から始めました。
とはいうものの、先代の先見性はかなりのもので、すでに医療秘書を置き、書類作成や処方は口述筆記させていました。病棟のあちこちに遊び空間を設け、緑の中の病院は真に心休まるものでした。特に感心したのは厨房の衛生管理で、その設計コンセプトは、後の建て替え時にも十分に通用するものでした。県内でも珍しかった薬剤自動分包機やレセプトコンピューターがあり、新しもの好きの私の創業意欲をかきたてました。
平成へ移り変わり、次の世代へ。
平成の精神科病院作りが始まりました。まず基本理念を作り、管理部会を組織し、当時事務課長だった浦橋一秀氏と共にマスタープラン作成に乗り出しました。県立富合病院で共に遊んだ松永哲夫先生を三顧の礼で迎え、赤松・松永の囲碁対局は医局の雰囲気を一変させました。認知症専門病棟に転換すると補助金が出るらしいと聞き、思い切って、その施設整備基準に他の病棟も合わせて設計しました。当時としては画期的なことでした。経営的裏付けとして、特二類看護、精神科作業療法など課題であった施設基準を取得し、アメニティーという言葉が流布される中、適時適温、カウンター配膳、8㎡可算などに診療報酬上の加算がつきました。1995(平成7)年にリニューアルオープンした時は、現在と同様、見学者が絶えませんでした。
公益的使命への転換
病院の方向性が自分のやりたい夢と一致し、その実現に向かってあれこれ考えることは、実にやりがいのあることでした。しかもトップとしてやるのでストレスはほとんどかかりません。この頃から経営の楽しさ面白さを感じ始めたような気がします。「経営はお金を貯めるのが目的ではなく、使うために収益を上げるのだ」という考えで、気がついたら、20年間で約20億円の設備投資をしていました。しかも、20年で無借金になっていました。経営戦略とまでは言えませんが、民間医療法人の形態に見切りをつけ、持ち分放棄、親族制限、解散時の基本財産の帰属など、公益的医療法人化を目差したのは早かったと思います。2010(平成22)年には創立60年。社会福祉法人設立、さらに社会医療法人化をもって名実共に公的病院と同等になり、これを機に松永哲夫院長にバトンタッチしました。
熊本地震をのりこえて。
2016(平成28)年4月の熊本地震は、これら全てを破壊しました。199人の全入院患者を退去させ無人となった病院を廻りながら、25年間追い求めてきた夢が醒めたことを知りました。入院患者ゼロの中、改修に費用をかけるより職員に退職金を払ったほうが感謝されるのではないか、「もうやめようか」と一瞬考えました。医師が散逸する中で今後も診療が継続できるかどうか、幹部を集めて意を伝えました。復興計画が二転三転する中で将来どのような病院にしていくのか、幸い、被災前に動き始めていた「益城病院将来ビジョン計画」がありました。これをもとに「地震からの復興ではない、これまでやりたくてもできなかったことを実現しよう」と呼びかけ、職員全員の意思統一を図りました。それが被災後半年にして立ち上げた「益城病院復興計画PLAN2020」でした。
益城病院のこれから。
2019(令和元)年5月1日、新元号と共に復興成った新益城病院が、200名の入院患者1500名の外来患者、300名の職員とともに、令和の精神科病院を夢見て動き始めました。創立70周年を機に2020(令和2)年4月、渡邊信夫新院長が誕生しました。
夢が何であるか、その答えは、PLAN2020の全メンバーである、益城病院のみなさん一人ひとりの心の中にあります。
“Dreams come true.”